人と会うこと

明け方はすばらしい青空だったのに、その後急速に曇って雨が降った。午後になるとまた晴れたが、自転車で出かけるのはやめにした。
今日はとあるプロジェクトの参考になる資料をいただきに人に会うことになっていた。ところが携帯にかけてもつながらず、オフィスに電話しても外出中。忙しい人だから仕方ないとはいえ、しばらく待ちぼうけをくらう。ようやく15時頃にコンタクトがとれ、オフィスに行ったら、またしばらく待たされる。最終的には打ち合わせが終了したが、2時間この件に付合わされそれほどの収穫はなくがっかり。
電子メールで気軽にやりとりできるような関係ならば「資料ください」「じゃ、準備して送るね」で終わりなのだけど、そういうわけにはいかなかった。
しかし、こうして根回しをして、時間を割いて、面会してというのも人と付合う上では必要なことだと思う。確かに効率的なやり方ではない。しかし効率ばかりでは何かを見失う気もする。電子メールでやれば…と思った時に、あまりにこうしたシステムに慣れすぎていて、人と人との関わりについて無頓着になってきている自分がいるような気がした。だから今日はよかったと思うことにしよう。
いろんな人がいる。
とある会社で失態を犯し関係先の我々にも迷惑をかけ退職をした人が、新しい仕事が見つかったといって挨拶に来た。何を臆面もなくと思ったが、即座に断りはしなかった。過去を反省し、また新たな場所に自分を確保しようとしている人をぼくは許そうと思う。そう思うのは、ぼくが甘いのか。情を逆手にとって厚顔に振る舞う人間も確かにいて、そして今の時代そういう人間が大手を振って歩いているような気もする。だけど、どこか人間というものはどこかで同じ気持ちを持っていると信じてしまう。
今までに1700万回以上再生されているので知っている人も多いだろうが、YouTubeWhere the Hell is Matt? (2008)をいつも見ている。Mattおじさんがへんてこな踊りを世界中で踊る動画だ。そしてみんな踊り出す。大人も子供も踊っている。先進国でも、途上国でも踊っている。イスラエルでもヨルダン川西岸でも踊っている。
人を責めたくなるとき、自分が彼を糾弾し、裁く資格を持っているのか、それを問おう。そこに答えは自ずとあると信じよう。